まつこの庭

私の庭に咲いている花や庭にやってくる鳥や虫たちのことを記録していこうと思います

花の図書館(3)「先生のお庭番」

 花の図書館の3回目は、浅井 まかて 作 の時代小説「先生のお庭番」です。

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 先生とは、アジサイやユリなどをヨーロッパに伝えたことで有名なドイツの医者シーボルトのことです。この物語は、江戸時代の終わりごろに長崎の出島にあったオランダ商館の医師であったシーボルトシーボルトはドイツ人であったが、オランド人と偽っていたようです。)と彼の薬草園のお庭番(草木や草花などの世話をする庭師)であった熊吉との4年間の交流を描いたものです。この二人にシーボルトの日本人妻お滝さんと使用人のオルソンが絡んで物語が展開していきます。

 「アジサイやユリなどをヨーロッパに伝えたことで有名なドイツの医者シーボルト」と言ってしまえば簡単ですが、この時代にアジサイやユリを生きたままヨーロッパに持ち帰ることが如何に至難の業であったかがこの本を読むと分かります。長崎からオランダ領だったバタビアジャカルタ)まで3400里、さらにバタビアからオランダまで3400里、約7カ月の船旅をしなければなりません。しかも何度も赤道を越えなければヨーロッパには到達できないのです。

 シーボルトは「この美しい日本の植物をオランダに住む母親に見せたい。」「荒涼としたヨーロッパの気候に日本の植物で潤いを与えたい。」という思いで、熊吉に植物を集めさせ、生きたままオランダに送る方法を考えさせます。熊吉はシーボルトの思いに応え、新種の植物を含めたくさんの植物を集め、送る方法を考えます。シーボルトが発見し、「オタクサ」と名付けたというアジサイも実際は熊吉が発見したようです。当時はガクアジサイが一般的で、群生するガクアジサイの中に手毬咲きのアジサイを見つけたのは熊吉でした。そのアジサイに「オタクサ」と名付けたのがシーボルトです。             

f:id:myuu-myuu:20180718122334j:plain ↑ アジサイ・オタクサ(筑波実験植物園で見たものです。)  

 シーボルトの日本人妻は滝と言い、シーボルトは「お滝さん」と呼んでいたつもりだったようですが、周りの人には「オタクサ」としか聞こえなかったようです。

 熊吉は薬草園を作る時に一つ一つの植物にあった土拵えのために木枡を作ったことを応用して、丈夫な障子紙(光を取り入れ、湿度を保つため)を張った1尺四方の木枡を作ってもらい、それに植物を植えこんで船で運んでもらおうと考えます。

 ついに桜や梅、椿などの花木、葉の美しいカエデやモミジなどの樹木、紫式部や万両、橙や蜜柑などの実物、藤や蔦、ギボウシなどの葉物、ユリ、ボタン、シャクヤク、菖蒲などの花物、アジサイは特に50株、全部で485種、1000箱の植物が船でオランダに送られました。生きて無事オランダに届いたのは260箱だったそうです。

 医術を日本に伝えるため薬草園を自前で用意し、多くの門弟に慕われる先生、日本の植物をこよなく愛する先生に魅せられ、熊吉はお庭番として知恵をしぼりながら、失敗を繰り返しながらも成長し、シーボルト先生に尽くす姿がただいじらしいと思います。シーボルトが帰国の際に持ち出し禁止の日本地図を持ち出し、多くのシーボルトの門弟に弾圧が及び、熊吉自身も厳しい取り調べを受けた時もただひたすら先生のためにと耐えるのでした。

 歴史の教科書で学んだシーボルト、雑学で知っていたヨーロッパにアジサイやユリを伝えたシーボルト、この本を読むことで今迄知っていたシーボルトの見方が少し変わったような気がします。裏に隠されたエピソードを知ることで、シーボルトを少し理解できたような気がします。

 今豪華に咲き誇るアジサイやユリを見ると、シーボルトが祖国にアジサイやユリを持ち帰った時から約200年近くの年月が経っていることに感慨を覚えます。